外国語で書かれたテクストを翻訳して共有することは古来から広く行われています。翻訳の際には、読者の理解をうながす「注釈」が付けられることがありますが、その姿勢や傾向については、作品の時代やジャンル、あるいは翻訳者自身の考え方によって大きく異なります。
本講座では、「翻訳」に携わる、あるいは「翻訳」を研究対象として扱う本研究院所属の教員が、さまざまな観点から「翻訳」と「注釈」の関係について紹介し、考察をしていく公開講座を開催します。
どなたでもご参加いただけますので、ぜひ多くの皆様のご参加をお待ちしております。
第1回:11月22日(土) 10:30-12:00
倉方健作(九州大学大学院言語文化研究院 教授)
フランス近代詩を翻訳する ―叙情詩に注釈は必要か?
フランス近代詩の邦訳の歴史は長く、たとえば上田敏『海潮音』(1905年)収載のヴェルレーヌの詩篇は「秋の日の ヴィオロンの ためいきの…」という日本語で人口に膾炙してきました。ですがそもそも「ヴィオロン」とはなんでしょうか? 注釈を付ける必要はないのでしょうか? この講義では、既存の翻訳を比較しながら、叙情詩と注釈の相性について見ていきます。
第2回:11月29日(土) 10:30-12:00
加藤哲平(九州大学大学院言語文化研究院 助教)
死海文書における聖書の翻訳と注釈
「死海文書」というと、オカルトやサブカルチャーに出てくる怪しげな古文書というイメージが強いかもしれません。しかしその実態は、古代ユダヤ教が、その聖典であるヘブライ語聖書を「翻訳」したり「注釈」したりして生み出した宗教文学なのです。この講義では、死海文書の概略を説明しつつ、「翻訳」の例として、2021年に発見されて世界的なニュースにもなった新断片を、そして「注釈」の例として、独特の聖書解釈法を示す『創世記注解(4Q252)』などを取り上げます。
第3回:12月6日(土) 10:30-12:00
橋本紘樹(九州大学大学院言語文化研究院 助教)
翻訳という思想―ドイツにおけるその歴史的展開
ドイツでは18〜19世紀にかけて、ゲーテが「世界文学」の考えを提唱し、ロマン派の作家・詩人たちもまた独自の翻訳理念を構想しました。そして20世紀に入ると、ヴァルター・ベンヤミンという思想家が「純粋言語」という概念を打ち出します。この講義では、こうしたドイツ語圏における翻訳思想の歴史を紐解き、そこから現代的な問題について考えてみたいと思います。
第4回:12月13日(土) 10:30-12:00
浜本裕美(九州大学大学院言語文化研究院 准教授)
詩人と翻訳―英国における古典文学受容の一端
古代ギリシア・ローマ文学は、ホメーロスに代表されるように韻文作品が多くを占め、英国では詩人によって創作活動の一環として盛んに翻訳されてきました。その一方で、19世紀には社会の変動にともなって、異なる目的と読者層をもつ翻訳への需要が高まります。注釈にも目配りしながら、翻訳のさまざまな形に目を向けて、英国における古典文学受容の一端について考えたいと思います。
第5回:12月20日(土) 10:30-12:00
佐藤正則(九州大学大学院言語文化研究院 教授)
日本プロレタリア文学運動とソ連文学理論の翻訳
翻訳されたテクストは、原典が書かれた社会・文化的な文脈から切り離され、翻訳先の社会・文化に移され、訳者によって注釈や解説を付されることにより、原典とは異なる意味を獲得し、異なる機能を果たすことがあります。1920年代から30年代前半の日本における、同時代のソ連文学理論の翻訳・紹介とプロレタリア文学運動の展開を事例に、翻訳における文化的・政治的な要因の多面性について考えます。
11月22日(土)~12月20日(土) 10:30~12:00
毎週土曜日 全5回
九州大学伊都キャンパスイーストゾーン1号館2階E-C-203
1,000円(全5回)
対面35名
オンライン100名
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